2011年03月06日

大きな壁を感じている。
それは、非識字者の生活世界が真の意味で理解できない、
そのとき感じる壁と似ている。

現在、社会的経済的にしんどい子が多数を占める小学校で、
主に中学年に入ってフィールドワークを行っている。
初めて教室に入った印象は、「学校ではない」。
確かに、授業や学校生活は流れているのだが、
何か「学校」にあるはずのものが足りない気がした。

似たような社会的経済的背景を持った子どもたちが通う高校で、
かつてボランティアをしたことがある。
その学校からは、「くやしい」「悲しい」「むなしい」といった
悲愴感や無力感があふれ出ていた。

でも、この小学校では、そのような感情を感じない。
「のっぺらぼう」な印象を持つ。
年齢的な問題なのだろうか。

先日パートナーと共にアンケート調査を行ったら、
別の小学校の子どもと似たような意識の傾向が出てきた。
「学校ではない」観は、子どもたちの異なる意識の傾向から
生まれたものだと仮説を立てていたので、わたしたちはこの結果に驚いた。
あの小学校を見て「何か違う」と感じたのは、わたしたちの気のせいだったのだろうか。
あると思っていた「違い」の壁は、実はなかったのだろうか。

アンケート自体にわたしたちのバイアスがかかっていて、
二校の差がひろえないようになっているのかもしれない。
もしそうなら、わたしが普段見ているものの中に、
見えてないものがあるということだ。
そして、直観だが、確かに見えてないものがある気がする。

あるようで、ないような、壁。
この壁は、本当にあるのだろうか。
あるとしたら、とてつもなく大きいだろうこの壁を超えられるのだろうか。
壁の正体を知るのは、相当難しく、時間がかかりそうだ。
posted by oku at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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